普段はあまり見ないスマホを何度もタップする。
指の動きがイライラしていると、自分でもわかる。
一昨日、バイトの面接に行って以来、化野からは連絡がない。
(そりゃそーだ。俺はバイト蹴ったんだし。今頃、新しいバイトでも探してんだろ)
自分が閲覧していた求人サイトからは広告が消えている。別のサイトに掲載しているのかもしれない。さすがに、それを探す気にはならないが。
スマホの画面を閉じて、息を吐いた。
「何でこんなに、気になってんだろ」
会ってそうそう、プロポーズまがいなことを言われたからだろうか。
それとも、普段なら絶対に話さない自分の秘密を打ち明けてしまったからだろうか。直桜の秘密が化野から13課に流れる可能性はある。
さすがにそれは気になるし、心配だ。
今思えば、怪しいと思いながら、あの場所に向かってしまった。
(これも縁、だったのかな)
化野とは、会うべくして会った。なんて、そんな漫画やアニメみたいなご都合主義的な考え方は好きではないが。
自分の唇に触れる。
邪魅の清祓や浄化は、何も口移しでないと出来ない術ではない。
(溜まりまくってたから、アレが一番手っ取り早かったけど。よく考えたら俺、初めてキスした。今、気付いちゃった)
意識した途端、顔が熱くなった。
(一昨日は全然、考えていなかったけど。普通、初対面の男にキスなんかしないよな。何やってんだ、俺。きっと雰囲気に流されまくったんだ)
好きだとか愛してるとか言われて、違和感がなくなっていたのかもしれない。
改めて、昨日の自分は何もかもが軽率だったと思い知った。
「マジでらしくない……」
「何が、らしくないの?」
独り言に返事をされて振り返る。
同じゼミの
「いや、別に……」
仲の良い楓相手でも、さすがに昨日のことは話せない。
「確かに、直桜がスマホに向かってイライラしてるのは、らしくないかもね」
「楓、何時から見てたの?」
「歩いてくる間、ずっと見てたよ」
楓が後ろを指さす。
校舎から正門に向かう道は広い一本道だ。良く見えたことだろう。
「おーい、直桜! 楓!」
楓が指さした方向から、田中陽介が走ってきた。
二人の間に割って入ると、肩に腕を回した。
「今日、飲み行かね? 久々に遊ぼうぜ!」
いつもの明るい声でにっかりと笑う。
白い歯が眩しいと感じるこの男は、直桜の中でいわゆる「普通の人」代表みたいな男だ。
直桜の憧れであり、お手本でもある。
性格も穏やかで頭も良くて家も金持ちな楓は、良い友人だがあまり参考にならない。
その点、陽介は総てが平均点な、まさに直桜の理想だった。
「行きたいけど、今日はやめとく」
「俺も、今日は家で用事があるんだ」
直桜と楓にほぼ同時に振られた陽介が、眉を下げて悲しそうな顔をする。こういうテンプレな表情も、直桜には理想的に見える。
「何だよ、二人とも用事あるのかよ。暇なの俺だけかよ」
文句を言う陽介を横目に、楓が直桜に問い掛けた。
「直桜は夏休みにあわせてバイト始めたいって言ってたよね。もう決まったの?」
「いや、まだだけど」
煮え切らない返事になってしまった。
昨日の化野との約束は、あくまで清祓を手助けする、という話だ。バイトではない。
「もし見付けるの難しそうなら、うちの系列で斡旋しようか?」
楓はOUTSU製薬という大企業の御曹司だ。バイトくらい、いくらでも伝手はあるだろうが。
「もう少し、自分で探してみるよ。ありがとな」
「そっか。頑張ってね。見付からなければ、いつでも声掛けて」
少し残念そうな顔を見せた楓だったが、すぐにいつもの笑みに戻った。
「じゃ、俺はお先に」
校門前に黒塗りの車が横付けされている。
二人に手を上げると、その車に向かい、楓は歩いて行った。
「相変わらず御曹司は迎えも派手だなぁ」
何度も見慣れている光景に、毎度同じ反応をする庶民代表の陽介に感動する。
「楓が来てくれたら、合コンも女の子集まるのになぁ。誘っても全然、来ねーもんなぁ」
この台詞もまた、聞き慣れた陽介の愚痴だ。
毎度毎度、懲りずに楓を誘うが、その度に断られている。
「そりゃ立場上、下手な女と噂になるのは、まずいから、とかだろ?」
陽介が首を傾げて直桜を振り返った。
「でもさ、直桜が来るときは、楓って合コンも飲みも来るよな」
今度は直桜が首を傾げた。
「そうだっけ? よく覚えてない」
人付き合いは最低限に留めているので、陽介の誘いにも全部応える訳ではない。だが、言われてみれば、いつも隣に楓がいる気がする。
「楓って直桜のこと、好きだったりしてな」
にししと悪戯に陽介が笑う。
何故か、化野の顔が浮かんだ。
「友達として、傍にいて楽ってだけだろ。深い意味とか、あるわけないから」
楓の話をしているのに、まるで化野のことを自分に言い聞かせているようなセリフになってしまった。
(いやいや、なんで化野なんだよ。おかしいだろ。たったの一回、しかもバイトの面接で会っただけだぞ)
「あれ? また車来てる。誰の迎えだろ?」
陽介が正門を指さす。
黒いセダンから、化野が降りてきた。
キョロキョロと辺りを見回している。
ドキリ、と心臓が跳ねた。トクトクと、鼓動が少しずつ早くなる。
「なんか、格好良い人だなぁ。誰か捜してんのかな?」
「格好良いか?」
思わず、突っ込んでしまった。
「如何にも大人っていうか、社会人! って感じしない? 車にスーツって組み合わせがさ」
「あぁ、そういう……」
ホッとしたような、残念なような気持ちになる自分を不可解に思う。
直桜の姿を見付けた化野が、こちらに向かい歩いて来た。
「瀬田くん! すみません」
心なしか化野の顔が引き攣れて見えた。
「今日、これから私に時間を頂けませんか?」
逼迫した表情で化野が直桜の肩を掴む。
勢いが凄すぎて、思わず頷いてしまった。
「……桜、直桜。大丈夫ですか? わかりますか?」 護の声が、遠くで直桜を呼んでいる。 意識がふわりと浮かび上がって、目の前に護の顔があった。(護……、これも俺の妄想かな。夢かな)「護、ごめん。シーツと枕、いっぱい汚しちゃった。玩具、試したら、手枷、絡まって、動けなくなって、猿轡も外せなくて、それで」 目の前の護が崩れ落ちて脱力した。「自分でやったんですか? 誰かに強姦でもされたのかと思いましたよ」 強く唇を押し当てられて、きつく抱き締められた。(あれ? あったかい。もしかして、本物?) 気が付けば、話せる。猿轡が外れていた。手枷も頭上の留め具から外れている。「護、いつ帰ってきたの? 俺、どれくらい、このままで……」 「帰ってきたのはついさっきです。声を掛けても返事がないし、部屋にもいないし。まさか、私の部屋でこんな姿になっているなんて」 部屋の時計を眺める。 直桜が護の部屋に入ってから、数時間しか経っていなかった。「予定より早く帰ってこられて、良かった。予定通りだったら、あと二日、この状態でしたよ。一体いつから、こうなっていたんですか」 「多分、二~三時間だと、思う」 本当に良かったと思う。 あと二日、あの状態でいなければならなかったと考えると、背筋が寒くなる。「玩具、感じすぎて、怖い。護のがいい」 護の腕に掴まる。 ベッドの状態と直桜を眺めていた護の腕が、直桜の尻に伸びた。入ったまま動きを止めているアナルプラグを護の指がぐぃと押した。「ぃ!」 思わず背筋が伸びた。「こんなにシーツを汚して、何回イったんですか? 私としている時より、悦かった?」 ぐりぐりとアナルプラグを穴の中で掻き回されて、ビクビクと腰が震える。「ちがっ。護のほうが良い。今すぐ、護のちょうだい。護ので、中、ぐちゃぐちゃにして」 涙目で、護に請う。 護が薄く笑んで、ごくりと喉を鳴らした気配がした。
禍津日神の儀式から数日後。直桜と護には日常が返ってきた。いつもの仕事をいつものようにこなす。今日は、仕事に行く護を直桜は見送っていた。 玄関で、護が直桜に抱き付いた。「一週間で帰ってきますから。一週間の辛抱です」 足元には大きなキャリーケースが置いてある。 今日から一週間、護には滅多にない出張が入っていた。東北地方で起きた事件の事後観察で、今回はバディの直桜ではなく清人と出掛けることになっている。 まだ直桜がバイトを始める前に清人と関わった仕事らしい。「一週間分の直桜の匂いを嗅いでおきます」 直桜の肩に顔を押し付けて、何度も息を吸っている。「一週間くらい、離れることはあっただろ。訓練の時はもっと長かったんだし」 忍と梛木にそれぞれ訓練を受けていた時は、二週間以上離れていた。「あの時は同じ地下にいたでしょ。今回は距離感が全く違います」 一階の駐車場で清人が待っているにも関わらず、護が動こうとしない。(あんまり気乗りしない仕事なのかな) 東北地方にも、霊・怨霊担当の部署がある。そこの浄化師とうまくいっていないのかもしれない。浄化師や清祓師の家系の中には、鬼の末裔である護を毛嫌いしている者もいると、以前に清人が話していた。「帰ってきたら、たまには俺が護を甘やかしてあげるから、頑張ってきなよ」 抱き付く護の頭を撫でる。こんな風に護の方からわかり易く甘えてくるのも珍しい。「私が居なくても、ご飯はちゃんと食べてくださいね。ゴミは溜めておいてもいいですが、洗濯は一回くらいはしてください。掃除は帰ってきたら私がしますから、そのままでも」 護の唇に人差し指をにゅっと押し付けた。「飯は作れないけど、それ以外の家事は俺だって、いつもしてるだろ。心配ないからさっさと行く」 いくら直桜でも、そこまで生活力がないわけではない。 護の肩を掴んで、回れ右する。 玄関の扉に手を掛けた。「作らなくても、ご飯は食べてくださいね。一週間の予定ですが、終われば早く帰ってき
直桜の隣に座した直日神を眺める。「直日がここまで干渉するのって、珍しいね。枉津日のため?」 直日神の神力の導きがあったから、枉津日神は迷わず清人の中に入れた。直桜と護だけだったら、きっとこんなにあっさりとは終わらなかった。「あのままでは、枉津日が不憫であろうよ。しかし懸念が、ないでもないが……」 珍しく言い淀む直日神の顔を、じっと見つめる。「俗世に関わる気はなかったが。反魂儀呪とかいう者どもが執着する気持ちは、わからなくもない。枉津日は神子を成すやもしれぬぞ」「はっ?」 思わず力強い疑問符が出てしまった。「吾らは性を持たぬ神だが、人を介してなら、子を成せる」「それはつまり、枉津日は清人を恋愛的に好きで、女神に転じて清人の子を孕むかもしれないと?」 直日神が首を傾げた。「枉津日神が何故、藤埜の人間から剥がれたか、直桜は経緯を知らぬのだったな」「まぁ、詳しくはね。その頃まだ俺、産まれてなかったしね。神殺しの話もこっそり聞いた噂だし」 神殺しの鬼の存在自体が惟神には秘されるのが集落の因習だ。とはいえ、人の口に戸は立てられない。噂とは、いつの間にか広がって耳に入ってしまうものだ。 神殺しの鬼の話も、藤埜家の事情も、集落に流れる噂程度にしか知らない。「結論から話せば、清人自身が神子よ。だから、あんなにもあっさりと枉津日を受け入れた。桜谷の童の絡繰りや、吾の導きなど後押しに過ぎぬ」「え? どういうこと?」 眉間に思いっきり皺が寄っていると、自分でもわかった。「先の惟神を、枉津日は大層気に入っておった。同
隣で清人を眺めていた直日神が、直桜を振り返った。「彼の名は何といったか?」 直日神の問いに、護と清人が呆気に取られている。「藤埜清人だよ。いい加減、俺と護以外の名前も覚えようよ」「ああ、今、覚えた。清人、だな。悪くない魂だ。気に入った」 直日神が護を振り向く。「護、枉津日神を直桜から剥がしてやれ。その後、吾が少しだけ手伝うてやる」「え? 今ですか? この場でやるんですか?」 護の焦りまくった問いかけに、直日神が事も無げに頷いた。「恐れずともよい。双方、整っておろうて」 直日神が立ち上がり、清人の前に立つ。 額に指をあてて、その目を見据えた。「怖いのなんのと泣き言を零しても、心は決まっておる。枉津日神を慈しむ心は揺れぬ。己は充分に惟神の器よ。自信を持て、清人」「……はい。えっと、初めてなので、痛くしないでください、ね……」 直日神を見上げる清人は固まったまま、動けないでいる。「直桜」「わかった」 直日神の声を合図に、直桜は自分の腹に両手を翳した。 太い糸のような光が直桜の腹から枉津日神に繋がる。「護、これを右手で切って」「わかりました……」 緊張した面持ちで立ち上がった護が、右手を手刀のようにして太い糸を断ち切った。 解き放たれた枉津日神の体が震える。離れそうになる枉津日神の手を清人の手が握り引き寄せた。 その様を直日神が
ピンポーン、と普段、滅多にならないインターホンが鳴った。 誰が来たのかは、気配でわかった。「開いてるから入っていいよ、清人」 事務所の扉が開いて、清人が顔を覗かせた。「いつもはインターホン押さないのに、どうしたの? てか、傷は大丈夫なの?」 事件直後は目を覚まさず、その後も回復室で療養していたと聞いている。 清人が気恥ずかしそうに頭を掻いた。「失血し過ぎたせいで貧血だったのよ。刺され所が悪かったみたいでさぁ。格好悪い姿、見せちゃったなぁ」 ははっと笑う清人に気が付いて、枉津日神が顔を上げた。「清人! 清人か! 怪我は良いのか? 生きておるのか?」 飛び出して抱き付くと、清人の顔をペタペタ触る。 身を引きながらも、清人が枉津日神をまじまじと眺めた。「生きてますよぉ。へぇ、顕現すると、こんな顔なんだねぇ。あの日は直桜だったからなぁ」「吾が直桜の姿だったから、庇ってくれたのだったな」「そういうわけでも、ないけどねぇ」 眉を下げる枉津日神の背中に清人が腕を回す。 護に促されて、清人がソファに腰掛けた。「お初にお目に掛かります、直日神様。枉津日神の惟神を受け継ぐ藤埜家が次男、清人と申します」 清人の口から出たとは思えない真面目な挨拶に、直桜と護は身を震わせた。「ほぅ、準備をしてきおったか。藤埜の家は、枉津日神を迎える準備があると?」 直日神が清人に向かい、微笑む。 清人が半笑いで息を吐いた。「集落の五人組筆頭・
禍津日神の神降ろし事件から数日が経った。 枉津日神の真名の封印こそできなかったが、荒魂にされた土地神は解放され、反魂儀呪のリーダーと巫子様を引き摺りだし正体を明らかにすることには成功した。13課としては、ギリギリの成果といえる。 しかし、八張槐にとってはこの流れも恐らく予測の範疇で、計画の一部に過ぎないのだろうと考えると、直桜としては複雑な心境だった。 枉津日神は惟神を得れば、真名を戻し荒魂に堕ちることは、ほとんどない。裏を返せば惟神が必須の神だ。 現在は直桜に降りているものの、この先どうするかを考えなければならなかった。 本日は『枉津日神の身の振りを考える』という名目で、誰も来ない事務所に酒を広げ、顕現した神々と四人、正確には二柱と二人で酒を酌み交わしていた。「吾は直桜の中に枉津日がおっても良いがな。二人で酒を交わせるのは、楽しい」 表裏の神だけあって、直日神は嬉しそうだ。 時々、口喧嘩はするものの、直桜としても二柱の神を抱える状況に不満はない。 目下の問題は、枉津日神だった。「清人に会いたい。会いたいぞ、直桜ぉ」 酒が入ると、清人の名を叫びながら泣く。 直日神は面白がって放置するから、いつも護が介抱している。 今日も例に洩れず、隣で護が背中を摩っている。「約束したであろう、護。吾は約束通り、直桜を返したぞ」 枉津日神が振り返り、護をじっとりとねめつける。 護がビクリと肩を震わせた。「いや、あの、それは、そうですが。もう少し待って……」「せめて、せめて、会わせよ。清人に会わせよ」 枉津日神が護の胸倉を掴んでブンブン振り回す。 護が、されるが